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田中英道『聖徳太子は暗殺された』(11/13)
ぼくらの日本書紀
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「長浜浩明さんの計算」とは?
神代(神話)
淡路のイザナギ、熊野のイザナミ (アジアの海人族の神)
古事記には偽書説があるらしい (蘇我氏と藤原氏)
古事記はどう読まれたのか(藤原通雅の秘本)
出雲と紀伊の二人のスサノオ(ふたつの須佐神社)
アマテラスの天岩窟(天石屋)隠れと皆既日食 (古天文学の道)
アマテラスは皇祖神か(あるいはタカミムスビか)
アマテラスの相殿神と高倉山古墳 (伊勢の水銀と紡績の神)
しぶとく生きてる騎馬民族征服王朝説(岡正雄の歴史観)
出雲大社は怨霊を封印した神社ではない(しめ縄・四拍手・神座)
有名神社の社殿や神座の向きについて
記紀でちがう出雲の神々 〜アジスキタカヒコネ、スクナヒコナ〜
美保の神はコトシロヌシか、ミホススミか(古層の出雲神話)
天孫降臨は朝鮮神話のサルマネか (三国史記の高句麗建国神話)
海幸山幸の「日向神話」は隼人の神話か
神武天皇
紀元前473年、呉の安曇族、日本へ!
紀元前210年、秦の徐福、日本へ?
日向神話の神社と聖地〜神武天皇の旅立ち〜
紀元前74年頃、神武天皇、筑紫「岡水門(岡田宮)」へ
安芸「埃宮」と吉備「高島宮」の神武天皇 〜稲作・鉄器・灌漑技術〜
神武天皇の部将①天富命 (阿波と安房)
神武天皇の部将②道臣命
神武天皇の部将③天道根命 〜初代・紀伊国造〜
神武天皇の部将④天日別命
紀元前70年頃、神武天皇の即位 (古事記と日本書紀のニギハヤヒ)
欠史八代
紀元前32年頃、第2代綏靖天皇、磯城の姫様と結婚 〜唐古・鍵遺跡の中国人〜
西暦32年頃、第5代孝昭天皇、尾張の姫と結婚 〜朝日遺跡の逆茂木と乱杭〜
西暦100年頃、出雲で青銅器祭祀が終焉 (荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡)
西暦151年頃までに、第8代孝元天皇、河内の姫をお妃に 〜淡路島の五斗長垣内遺跡〜
西暦180頃、倭国大乱と鳥取の遺跡(妻木晩田・青谷上寺地)
西暦180年頃、第9代開化天皇、丹波の竹野媛をお妃に(赤坂今井墳丘墓)
近江の伊勢遺跡と神郷亀塚古墳と彦坐王
崇神天皇
西暦209年頃、崇神天皇、疫病に悩まされる(天照大神と倭大国魂)
西暦210年頃、崇神天皇、疫病を解決する 〜銅鐸の終焉と箸墓伝説〜
西暦212年頃、四道将軍・吉備津彦、西道へ(楯築遺跡)
西暦212年頃、四道将軍・大彦、北陸へ(ヤマトと越)
西暦212年頃、四道将軍・武渟川別、東海へ
西暦237年頃、出雲振根、誅殺される (四隅突出型の終焉と出雲族の東遷)
常陸のタケカシマと大祓祝詞の「日高見国」
纒向遺跡は邪馬台国の女王、卑弥呼の宮殿か
箸墓古墳は邪馬台国の女王・卑弥呼のお墓か
垂仁天皇
西暦242年頃、天日槍(アメノヒボコ)来日 〜秦氏と古事記〜
西暦253年頃、倭姫命、伊勢へ(天津彦根命と建許呂命)
西暦254年頃、出雲、ヤマトに降伏か 〜山代二子塚古墳と今市大念寺古墳〜
邪馬台国への道(1)伊都国 (平原1号墓と三雲南小路遺跡)
邪馬台国への道(2)奴国 (博多湾と有明海の安曇族)
邪馬台国への道(3)不弥国 (宇美八幡宮と光正寺古墳)
邪馬台国への道(4)投馬国 (平塚川添遺跡)
邪馬台国への道(5)邪馬台国 (高良大社と祇園山古墳)
三角縁神獣鏡は「卑弥呼の鏡」か 〜畿内と九州の分布〜
三角縁神獣鏡と鉛同位体比チャート 〜卑弥呼の鏡(2)〜
景行天皇
西暦291年頃、景行天皇美濃に行幸 〜美濃の前方後方墳〜
西暦296年頃、景行天皇、九州巡幸(邪馬台国の滅亡)
西暦310年頃、日本武尊の東征(1) 伊勢の海人と尾張氏
西暦310年頃、日本武尊の東征(2) 房総と武蔵の出雲族
ヤマトタケルは成務天皇か(常陸の倭武天皇)
西暦319年頃、景行天皇、近江「高穴穂宮」行幸
神功皇后
西暦350年頃、仲哀天皇即位 〜「謎の4世紀」の成務天皇〜
神功皇后は「卑弥呼」か「天照大神」か
西暦355年頃、応神天皇の誕生 〜「河内政権論(河内王朝論)」への反論〜
西暦355年頃、武内宿禰が忍熊王を倒す 〜紀伊勢力の勃興〜
西暦357年頃、葛城襲津彦・登場〜神功皇后は実在したのか〜
宇佐神宮は卑弥呼のお墓か(『逆説の日本史』を30年ぶりに読んでみて)
古事記の「崩年干支」と古代天皇の実年代
住吉三神と神戸の神社(廣田・生田・長田)
応神天皇の皇居(宮都)は河内か、大和か 〜応神天皇陵はどこか〜
武内宿禰と葛城襲津彦は実在の人物か 〜甘美内宿禰の盟神探湯〜
吉備「造山古墳」と百舌鳥「上石津ミサンザイ古墳」は誰の墓か
日向「西都原古墳群」の「女狭穂塚/男狭穂塚」は誰の墓か
葛城と山城の「賀茂氏」と「秦氏」
秦氏はユダヤ人か(八幡神と京都の神社)
播磨国風土記の「漢人」と「韓人」
「下海上国」の香取神宮と関東のニギハヤヒ神社
倭の五王
応神天皇の皇太子「菟道稚郎子」は自殺か、他殺か
上毛野・下毛野の分割と「太田天神山古墳」の被葬者
五世紀の出雲の「淤宇宿禰(おうのすくね)」とヤマト
百舌鳥古墳群(仁徳天皇陵)と河内政権論
皇室(天皇家)のルーツは朝鮮半島ではない 〜『逆説の日本史』の影響力〜
葛城「磐之媛」の権勢と仁徳天皇の実年代
筑波山と淡路島のイザナギ(履中天皇・允恭天皇)
倭の五王①讃・珍・隋 〜反正天皇と土師ニサンザイ古墳〜
倭の五王②済 〜允恭天皇の謎と「二つの王家」(葛城vs和珥+息長)〜
倭の五王③済 〜允恭天皇の盟神探湯と『アマテラスの誕生』〜
倭の五王④興 〜安康天皇の謎(市辺天皇・佐紀古墳群・世子)
倭の五王⑤武 〜雄略天皇と葛城氏の滅亡(大伴・物部・中臣の復権)〜
倭の五王⑥武 〜雄略天皇と伊勢神宮(5世紀の宗像・葛城・三輪の神々)
記紀の「飯豊天皇」と両宮山古墳の被葬者(清寧・顕宗・仁賢・武烈の時代 )
継体天皇
尾張氏の実像 〜弥彦神社の四拍手と先代旧事本紀の物部氏〜
継体天皇は皇位(政権)を簒奪したか 〜実年齢・系譜・本拠地〜
磐井の乱の近江毛野と物部麁鹿火 〜邪馬台国東遷説の地名類似説〜
太宰府「九州王朝説」と磐井の乱の考古学
武蔵国造の乱とさきたま古墳群 〜无邪志国造・知知夫国造・胸刺国造〜
欽明天皇と蘇我稲目のクーデター(辛亥の変)はあったのか
蘇我氏は渡来人か〜秦氏ユダヤ人説と養蚕・韓式土器〜
任那日本府はあったのか 〜朝鮮半島の前方後円墳〜
敏達天皇の「日祀部」〜天照大神と伊勢大神〜
聖徳太子
関裕二『聖徳太子と物部氏の正体』を読んで
田中英道『聖徳太子は暗殺された ユダヤ系蘇我氏の挫折』を読んで
旅行記
諏訪大社とミシャグジ〜洩矢神とタケミナカタ〜
諏訪の安曇族と出雲族〜御柱と水辺の祭祀〜
吉見百穴と埼玉の出雲族
東京・神奈川・埼玉のアラハバキ神社
古事記の出雲の神々の「死と再生」 〜コトシロヌシとサルタヒコ〜
富士山本宮浅間大社と弥生時代の富士山の噴火
鹿児島で火山を祀る神社 (霧島・桜島・開聞岳)
隼人の反乱と「弥五郎どん」
寒川神社、大山阿夫利神社、比々多神社の縄文人
富士吉田と新宮の徐福
南宮大社、多度大社の鉄の神 〜金山彦命・天目一箇神〜
吉備津神社の桃太郎と温羅 〜吉備津彦の時代の朝鮮半島〜
熊野本宮大社の祭神とは 〜物部氏の太陽神ニギハヤヒか〜
「高天原」は東国・茨城県か?〜東実『鹿島神宮』を読む〜
常陸のニギハヤヒと茨城県の神社 〜多氏と鹿島神宮〜
丹後「元伊勢」の豊受(トヨウケ神) 〜比治の真奈井の羽衣天女伝説・トヨウカノメ〜
ツヌガアラシトと丹波道主 〜アメノヒボコと伊和大神〜
伊勢と志摩のサルタヒコ神社 〜太陽神か魔除けの神か〜
駿河と相模のヤマトタケル神社 〜神奈川のヒメヒコ神社〜
甲斐と武蔵のヤマトタケル神社 〜甲斐の前方後方墳〜
武蔵と近江の製鉄神、渡来神
東国の皇族と前方後方墳 〜武渟川別・御諸別・奈良別〜
鹿島神宮・香取神宮はいつ創建されたか
伊佐須美神社のオオヒコ(大彦命)と会津大塚山古墳
生島足島神社のタケミナカタと諏訪大社の「御頭祭」(イサクの燔祭?)
群馬と長野のミワとカモ〜大物主と大国主は同一神か〜
東北の国造たち 〜鹽竈神社と雷神山古墳の謎〜
勉強記
『火山と日本の神話』ワノフスキー
『科学的"アイヌ先住民族"否定論 』的場光昭
『アマテラスの誕生』溝口睦子 〜 皇祖神タカミムスビと朝鮮建国神話 〜
『出雲という思想』原武史 〜明治の祭神論争のオオクニヌシ〜
道教の「天」と「神仙」と前方後円墳
『日本神話の源流』吉田敦彦(檀君神話と天王郎神話)
出雲大社はいつできたか『古事記外伝』
スサノオは出雲の製鉄の神か
古事記と日本書紀は、誰が書いて、誰が読んだのか〜海外向けと国内向け?〜
桜井茶臼山古墳・メスリ山古墳の被葬者は誰だ
魏志倭人伝の「水行」と「渡海」の意味 〜邪馬台国は南か東か〜
オオモノヌシの祟りと三輪山祭祀(と大和のアマテラス)
鴨・葛城の神社(高鴨・葛木御歳・鴨都波)と出雲のオオクニヌシ
三角縁神獣鏡は国産か 〜黒塚古墳、室宮山古墳〜
河内の「中田遺跡群」は邪馬台国か?(『ヤマト王権の古代学』坂靖)
古事記のアメノミナカヌシとタケミカヅチ
『狗奴国浪漫』邪馬台国時代の「熊本」 〜狗奴国東海説への反論〜
『アマテラスの暗号』を読んで 〜元伊勢(籠神社)・天照御魂神・大嘗祭の秘儀〜
伊勢神宮と道教〜太一・心御柱・天皇霊〜
梅原猛『葬られた王朝』〜出雲と大和〜
『ヤマトと伊都国 邪馬台国畿内説のゆくえ』 〜纒向遺跡と北部九州〜
出雲神話の旅
出雲神話①三穂津姫は出雲・美保の神か 〜丹波の出雲大神宮〜
出雲神話②出雲のイザナミ〜揖屋神社・神魂神社〜
出雲神話③カミムスビの宮殿 〜命主社〜
出雲神話④風土記のスサノオ一家 〜意宇の安来神社 〜
出雲神話⑤風土記のオオクニヌシはどこから来たのか 〜雲南市・神原神社〜
出雲神話⑥風土記「逸文」に見当たらない「大国主神」〜因幡国・白兎神社〜
出雲神話⑦播磨国風土記の4人のオオクニヌシ 〜播磨の伊和神社〜
出雲神話⑧古事記と風土記と日本書紀のスクナヒコナ 〜米子市の粟嶋神社〜
出雲神話⑨佐太神社のサルタヒコ 〜荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡のオオクニヌシ 〜
出雲神話⑩アメノホヒと出雲国造家の誕生〜四隅突出型墳丘墓の終焉〜
出雲神話⑪熊野大社のクシミケヌとスサノオ 〜プレ出雲氏の登場〜
出雲神話⑫ヤマトタケルの建部と出雲族の東遷
出雲神話⑬ミホススミとタケミナカタの日本海文化圏
出雲神話⑭美保神社のコトシロヌシは出雲の神か
出雲神話⑮「阿須伎神社」のアジスキタカヒコネは出雲の神か
出雲神話⑯「美談神社」と風土記のフツヌシ
出雲神話⑰「鹿島神社」のしめ縄はタケミカヅチの封印か
出雲神話⑱山陰・鳥取の「宗像三女神」とオオクニヌシ
出雲神話⑲下照姫と高照姫とカヤナルミと
出雲神話⑳「出雲国造神賀詞」のオオクニヌシとオオモノヌシ
ぼくらの日本書紀
ぼくらの日本書紀
趣味の古代史
うっかり古代史にハマってしまったおっさんたちが、日本書紀には何が書いてあるのかを確かめに、神社や遺跡・古墳などをまわってきた旅の記録(since2019)。
はじめに
神代(神話)
神武天皇
BC70-BC33
欠史八代
BC33-AD207
崇神天皇
AD207-241
垂仁天皇
AD241-290
景行天皇
AD290-320
神功皇后
AD355-389
倭の五王
AD
410
-
480
継体天皇
AD507-534
聖徳太子
AD
593−622
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